乳がんと闘っている小林麻央さんが重大発表をする、というニュースが駆け巡り、多くの人が「どんな発表をするんだ?」と気になったことでしょう。
そして9月1日に発表された内容は、新たなブログを立ち上げた、ということでした。
その発表に、多くの方が感銘したり、勇気づけられたりするなか、少数意見ではあるものの、「拍子抜けした」なんて言う人もいたりします。
そんな人に伝えたいと思って、今日は記事を書きました。
病気を隠しておきたい患者の心理
麻央さんはブログの中でこんなことを書いています。
元気になったら
元の自分や生活に戻れるのだから
それまでは、
誰にも知らせず、心配をかけず、
見つからず、、、と思ってきました。
わたし自身ヘルニアを患い、1年半にわたり闘病生活を続けてきました。
「死」というものを連想せずにはいられない「がん」とは違う病気ではありますが、闘病中も、そしてようやく社会復帰できた今でも、自分が病気であることを周りの人には知られたくない、と、麻央さんのようにずっと思っていました。
それまで元気だった自分が、歩くこともできない、という状況に、
「惨めな自分を人に見せたくない」
と思っていました。
「周りに心配かけたくない」、という麻央さんのように、周囲の人たちを気遣った気持ちよりも、わたしの場合は、「人生からドロップアウトしてしまった」、というみじめな気持ちが強かったように思います。
治療のために会社を休むわけですから、職場関係者には伝えなくてはなりませんし、本人の意思とは関係なく伝わっていくものです。
病気になってしまったこと、闘病生活が苦しかったこと、手術したこと、それらを過去の笑い話に変えられるくらいに時を経ないと、病気のことを語ることはできないでしょう。
人はどうしても自分と他人を比較してしまう生き物です。
同僚が仕事で活躍しているなか、自分だけが脱落してしまった、と不甲斐ない気持ちになり、
どうして自分だけがこんなつらい目にあうのか?
なんて考えてしまいます。
そもそも自分と他人を比較すること自体馬鹿げていることなのに・・・。
自分より不幸な人を見て、自分の幸せを再認識したり、自分より幸せな人を見ては、他人をうらやむ、という、人間とはなんともゲスな存在なのかもしれませんね。
ブログを開設するということの本当のつらさ
今回の重大発表というニュースに、多くの方は麻央さんが余命わずかでかなり深刻な状況であることを本人の口から発表するのではないか?、と想像していたことでしょう。
しかし、現在の病状に関する詳しい発表ではなく、ブログを開設した、という、それだけ聞けば、「なんだ、そんなわたし的なことかぁ・・・」と拍子抜けしてしまった人もいたことでしょう。
多くの方が知りたかったことを知れるのではないか、という期待感がそう思わせてしまうのでしょうが、「ブログを書く」という行為それだけでも大変であることをわたしは伝えたいです。
わたし自身も1年半に渡るヘルニアの闘病記をブログに書こうと決めたわけですが、麻央さんのように闘病中に書こうとは全く思えませんでした。
なぜなら、闘病中は前向きに物事を考えたり、客観的に自分を見ることなんて、とうていできないと思ったからです。
それこそ、毎日苦しいだの、つらいだの、と愚痴ばかりの記事になってしまうことでしょう。
それくらい、病気で闘病中の患者の心理というのはマイナス思考のかたまりなんです。
ブログに愚痴をつづってストレス発散にすることもできるかもしれませんが、やはりブログは少しでも多くの人に読んでもらいたいと思って書くものですから、愚痴なんて載せられません。
今もなお闘病中である麻央さんがブログを開設すると決心したことは、とても勇気のあることですし、がんである自分を受け入れ、がんと引き続き闘っていこうと、さらに一歩先のステージに踏み出した輝かしい瞬間でもあるように思いました。
でも、一度きりの人生なので、
なりたい自分になろうと
決意できたことは
うれしいです。
とブログにつづっているように、病気になってしまったことをただただ悔やみ、途方に暮れていた自分を見つめなおし、前向きな気持ちになれたことは、本当に素晴らしいことですし、さまざまな病気と闘っている多くの患者さんに勇気を与えてくれたと思います。
これからも続く闘病生活に、気持ちが落ちたりすることも当然あると思います。
不安に駆られて眠れない日もあると思います。
どう書いたとしても無責任なことばになってしまいますが、彼女には本当にこれからもがんばって欲しいと思います。
最後に
病気のつらさとは、病気になってみないとわからない、病気になってはじめてわかるものです。
そして、患っている本人のつらさは、周りの人たちの想像以上なんです。
麻央さんの発表に対して批判的な意見を言う人も、自分自身が病気になった状態ではきっと批判的な意見なんて言えないことでしょう。
何気ない普段の生活を送れることの貴重さ、素晴らしさを、そういう方たちにも知ってもらえたら嬉しいですね。