ぷちミニマリストを目指して、55の捨てる方法を1つ1つ検証し、実践していくドキュメンタリー企画の第7回目です。
捨てる方法
「今」捨てよう。捨てることがすべての始まり
「捨てること」は技術であり、捨てることによって徐々に経験値が上がり、捨てる技術として身につくものです。
だからといって、捨てる技術を完成させてから捨てることなどない、といいます。
要するに、ミニマリストになる技術を身につけてから捨てるのではなく、捨てるという行動をどんどん実践していきなさい、ということ。
Don’t think. Feel !!
あの有名なブルース・リーの言葉、「考えるんじゃなく、感じろ!」じゃないですが、ミニマリストを実践するなら、あれこれ考えるんじゃなく、捨てるという行動をどんどんやって行きなさい、というわけですね。
わたしたちは何か行動をするとき、
「これが終わったらやろうかな・・・」
なんて決めてやることって多いですよね?
ある案件が片付いたらやろう・・・なんて決めても、その案件が永遠に終わらないことだってあります。
終わったから、片付いたから、落ち着いたから、なんていうのは、もしかすると単なる言い訳なのかもしれません。
忙しい、時間がない、と言っている人に限って時間を有効活用できてない人も多いもの。
時間はあるものではなく、作るものだということを本質的にわかってないのかもしれませんね。
捨てることこそ最優先すべきことであって、捨てるからこそ時間が生まれ、余裕が生まれる。余裕ができることで、モノに煩わされることもなくなっていくわけです。
ミニマリストを目指すなら、”いま”捨てることだ!
今回のまとめ
永遠に来ない「いつか」を待つのではなく、すぐに行動すべきである。
実践したこと
今回実践したのは、Galaxy SⅢの売却です。
スマホをXperiaに替えたため、オークションで売却しようか、それともXperiaが壊れたときのための予備機として残しておこうかと迷っていました。
性能的にもじゅうぶん満足できる機種ですから、故障のときにもきっと役立ってくれるだろうと思っていたのですが、ドコモショップで故障修理サービスを受けると代替機を無料で貸してくれることを知りました。
しかも、代替機として貸してくれる機種は、自分の機種と同じ型の機種か、同等性能の機種になるそうです。
代替機を無料で借りられるのであれば、Galaxyを代替機として残す必要もないですし、商品の価値があるうちに売却するのがベストですよね。
オークション出品も考えましたが、高額な精密機械の取引は心配だったため、最終的には都内の某買取ショップで売却し、スッキリ処分ができました。
電池交換したらスマホがほぼ新品で返ってきた、ウソのようなホントの話!
2年以上使っていたXperia z1の電池交換を依頼したときの話です。
近所のドコモショップで電池交換サービスを依頼すると、Xperia z3を代替機として無料貸し出ししてくれました。
z3はz1の2世代後継機種になりますが、実際に8日間ほど使ってみると性能の違いを実感し、代替機でありながら欲しくなってしまいました。
代替機なので、もちろん中古になりますし、本体表面には「ドコモ代替品」という文字が刻印されていますが、通常使用にはまったく問題ないんですよね。
Xperiaシリーズのなかでも不具合報告が少なく、良機ともいえるXperia z3の中古が7,000円で手に入るとしたら・・・なんて少し悪いことを考えてしまうほど。(笑)
そうこうしているうちに電池交換は8日間ほどで終わり、惜しむようにz3を返却し、電池交換したz1をいざ手にしてみると・・・
なんと、見た目が新品同様に生まれ変わって返ってきたのです。
電池交換の費用(8,500円)を支払っただけですが、
お申し出内容以外に、microUSB接続口のカバーの破損、フロントケースの破損、サイドケースの破損、リアケースの破損を確認しましたので、microUSB接続口のカバー、フロントケース(フロントケース、液晶、タッチパネルが一体となった部品)、サイドケース、リアケースを交換しました。
とのこと。
ドコモ側の判定では「破損」となっていますが、実際にわたしが使っていた感じでは破損しているとは思っていない程度でした。
にもかかわらず、本体の外側をほぼまるまる交換してくれたという神対応!
わたしは液晶保護シートもスマホカバーも使わない派なので、液晶には多少のキズがついていましたし、ガラス表面加工された背面にもキズがあったのですが、これらがすべて新品となっていたんです。
電池交換のみでわたしのような対応を受けられるのはまれなケースなのか詳細は不明ですが、単なる電池交換が新品同様に生まれ変わって返ってくる、という嬉しい結果に。
代替機のz3を返却したときには残念な気持ちだったけど、新品同様のz1を見て、もうしばらくは大切に使ってあげよう、と思ったのでした。