わたしたちがモノに固執し、欲し続けるのは、刺激を求め続けてしまう脳のメカニズムによるものでした。
まさに人間の本質というわけです。
そんななか、わたしが読んだ本に書いてあった、あるテニスプレイヤーの話がとても胸に刺さったのでご紹介したいと思います。
ウィンブルドンを初制覇したアンドレ・アガシを君は知ってるか?
- 1970年4月29日生まれ(46歳)
- プロテニスプレイヤー
- 2001年 シュテフィ・グラフと結婚。現在2児の父。
1980年後半から2006年の36歳で引退するまで活躍した、アメリカ出身の元プロテニスプレイヤーです。
錦織選手の活躍のおかげで、テニスが熱い注目を浴びていますが、最近の若い方ではアガシのことをご存知ないかも。。。
でも、わたしもかつて大学でテニスに熱中していた頃は、アガシはまさにドンピシャな世代でしたので、大好きなテニスプレイヤーの1人でもありました。
アガシと言えば、当時有名だったのがその奇抜なファッション。テニス界の異端児とも言われてたほどですから、それはもう、目立ちまくりでした。
写真を見てもわかるとおり、激しいスポーツをする選手としては珍しい長髪スタイルで、スパッツの上から短パンをはき、頭にはバンダナ、ウェアやラケットもド派手なものを使っていましたね。
下着の色までチェック!?ウィンブルドンの変な伝統ルール
イギリス発祥のスポーツであるテニスは、紳士のスポーツとして知られています。
そして、テニスの世界4大大会の1つ「ウィンブルドン」では、その伝統が重んじられ、大会に出場する選手は、白基調のウェアを着用することが義務付けられています。
それは現在も続いており、下着のパンツの色まで大会委員にチェックされるらしいです…。(笑)
元来アメリカのロックスター歌手のような派手好きなアガシにとって、ウィンブルドンでの白基調のウェアを着ることはとても屈辱的なことだったようで、テニス四大大会のひとつであるにもかかわらず、1987年に出場して1回戦負けしてから、その後3年間は出場しなかったほどです。
もちろん、単に白いウェアを着るのがイヤだった、という理由だけじゃなく、ストローカーという彼のプレイスタイルと、ネットプレイヤーにとって断然有利となるウィンブルドンの芝が合わなかったことが、出場しなかった大きな理由なのでしょう。
ウィンブルドンに戻ってきたアガシ。その驚くべき姿とは?
そんなアガシが1992年に再びあのウィンブルドンに帰って来ます。
なんと、彼のトレードマークでもあったド派手な格好を捨て、真っ白なウェアに身を包んで。
当時テレビを観ていたわたしは、その姿がある意味とても新鮮で、これまでのド派手なアガシもいいですが、白いウェアをまとったアガシも、なんだか神々しく見えて、「全然悪くないじゃん!」って思ったほどでした。
弾足の速い芝のコートを苦手としていたアガシでしたが、1992年のウィンブルドンはいつもと違っていました。例年とは違って雨があまり降らず、そのため芝は乾燥し、はげて、土があちこちでむき出しになっていました。
このコート条件もアガシにとってプラスに働いたのでしょう。
彼はこの年、ウィンブルドンで初優勝をしたんです。
当時の決勝戦の相手は、ゴラン・イワニセビッチという、193cmの長身から繰り出す強烈なサーブを武器とするプレイヤーでした。
ですから、
「アガシもここまでなんとかがんばったけど、今年も準優勝で終わるのかなぁ」
なんて正直思っていたわたし。
でもそんな予想は大ハズレ。あの苦手なウィンブルドンで初優勝を勝ち取ってしまったわけですから、本当に驚きましたし、何より感動しました。
彼が自分のポリシーを捨ててまでも取りたかった、ウィンブルドン優勝のタイトル。
ストローカーである彼のプレイスタイルでは、ぜったい取れないと言われていた四大大会のビッグタイトルだけに、アガシ本人の喜びも計り知れないほどのものだったろうと思っていました。
ですが、そんな彼が優勝後に語ったことばにわたしは衝撃を受けることに。。。
あのアガシでさえ、優勝の喜びという刺激は長く続かなかった!
アガシが喉から手が出るほど欲しかったウィンブルドン優勝というタイトル。それを苦労してようやく手に入れたというのに、彼はこう語ったんです。
「優勝したわたしは、ごくわずかな人しか知り得ないことを知りました。優勝の喜びは敗北の苦しみにはかなわない。そして、幸せな気持ちは悲しい気持ちほど長くは続かない。似ているとさえ言えません」
この言葉には驚きました。ほんとに。
それまでのアガシは、他の大会でも決勝戦には進むものの、なかなか優勝できず「万年準優勝者」なんて批判されていたんです。
そんな彼が、一番勝てないと言われていたウィンブルドンで優勝したことは、彼にとって今後二度と味わうことのないほどの喜びという「刺激」だったはずです。
でも、彼はこの喜びという刺激でさえ、長く続くことはないと衝撃的なことばを言い放ったのです。
これは、彼が現状に満足せず、もう次の優勝タイトルを欲しているという、プロテニスプレイヤーとしての意欲の表れなのかもしれませんが、いっぽうで、どんな大きな刺激でさえも時の経過とともに慣れてしまうことを意味しているとも言えるでしょう。
刺激に慣れ、飽きることは、誰にも避けることはできない
あのアガシがそうであったように、わたしたちは皆、刺激という差を求めますが、いつかはその刺激に慣れ、そして飽きてしまうのです。
どんなにステキな服であっても、どんなに高価な指輪であったとしても、手に入れた直後はこれまで味わったことのない「刺激」を感じ、満足もするのでしょうが、やがてその刺激にも慣れ、飽きてしまい、また新しい刺激を求めて人はモノを欲し続けるのです。
刺激に慣れ、飽きるから、僕らはモノを欲し続ける
人間ってなんて欲深い生き物なんでしょうね。